2009年12月29日火曜日

ワークショップ・オーディション終了しました

26、27日二日間のワークショップ・オーディションが終了しました。

予想していたよりも随分多くの方に来ていただき、ありがたいのと恐ろしいのとでガクガクでした。
私の興味がわりと身体のことに寄っていたので、何故そんなことをするのだ?と戸惑った方もいたかと思うのですが、皆さん非常に真摯に取り組んでくださって本当に嬉しかったです。
終わってみて、私たちが一番勉強させていただいた、貴重な機会をいただいたなぁと感じています。
ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

今まで公演は年一回ペースでしたが、とりあえずこの一年は、発表の機会をもう少し多く持ちたいと思っています。
ワークショップもまたやっていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

西尾

2009年12月26日土曜日

#3「おばあちゃん家のニワオハカ」出演者募集

鳥公園 #3「おばあちゃん家のニワオハカ」
の出演者募集ワークショップ・オーディションを実施します。

2回の本公演を経て、今回が初めての募集となります。
様々な方々とお会いできることを楽しみにしております。


●公演詳細
 2010年3月下旬
 都内の日本家屋・庭にて
 作・演出 西尾佳織

 おばあちゃんの家の庭にはいろいろなものが埋まっていて、
 お母さんが昔太っていた頃の写真や
 四年前の夏にお祭りで買ってすぐ死んでしまったカラーウサギ、
 ウサギと一緒にうちに来てぶくぶく太って去年死んだ金魚、
 死ぬすこし前から実はあげていなかった金魚の餌、
 栄養になるからとおじいちゃんが卵の殻、
 昨日使った葱の端っこも埋めておけばまた味噌汁の具くらいにはなるし、
 おばあちゃん自身も埋まっていて、よく豪快な笑い声が聞こえる。


●募集要項
 応募条件:オーディション、および稽古・公演日程に参加できる方
 (稽古は1月下旬開始予定です)
 ※ワークショップのみのご参加も受け付けています

 オーディション日時:
 12月26日(土)14:00〜17:00
 12月27日(日)14:00〜20:00
 (基本的には二日間通しでのご参加となります。
  NGがある場合はご相談ください)

 会場:文京区内の施設

 応募方法
 件名:「ワークショップ・オーディション参加希望」
 本文:お名前(フリガナ)/ご所属(あれば)/過去の演技経験(あれば)/
    電話番号/メールアドレス
 を明記の上、以下のアドレスまでお送りください。
 ワークショップのみ希望の方は「ワークショップのみ希望」と明記ください。
 info.birdpark@gmail.com

 参加費用:500円

 応募締切:チラシでは2009年12月12日(土)としていましたが、12月19日(土
)まで受付いたします。


●お問い合わせ
 080-5472−5657(西尾)
 info.birdpark@gmail.com
 http://birdpark07.blogspot.com/

2009年12月6日日曜日

森さん

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、
夏の終わりに、森すみれが鳥公園のメンバーになりました。

#1「ホームシック・ホームレス」に出演、
#2「家族アート」では舞台美術の助手をしてくれていた森さんです。

集団がしっくり来ない気がして一人で始めた鳥公園ですが、
人と一緒に続けて作りたいと思うようになりました。

先日、#3の会場候補の
日本家屋を一緒に探しに行ったのですが、
まだ何も決まっていない段階から、
言葉未満の軟体動物のようなものを
投げたり受けたりできる相手がいてくれるというのは
何と嬉しいことかしらと思いました。

そんなわけで、
二人になった鳥公園を今後とも
よろしくお願いいたします。

2009年6月6日土曜日

#2「家族アート」公演写真をUPしました


ページの上から見ていっていただくと、お話の流れ順になっています。

#2「家族アート」公演詳細

























鳥公園#2『家族アート』

原作:伊藤比呂美
脚本・演出:西尾佳織

2009年4月21日(火)~23日(木)毎日19:30開演 全3ステージ
(受付開始・開場はともに19:00)

神楽坂die pratzeにて
(M.S.A.2009参加作品)

チケット料金
前売り:2000円 当日:2500円
学生は各300円引き(要学生証提示)

出演:
大倉マヤ(マヤ印) 谷本進(NEVER LOSE) 西尾佳織(乞局)

スタッフ
舞台美術:大泉七奈子
照明:三枝淳
音響:佐久間修一
演出助手、写真:北川大輔(カムヰヤッセン)
舞台監督:木村光晴
衣装:土屋絢子
宣伝美術:西尾佳織
制作:塩田友克
製作:鳥公園


狩るケモノ、狩られるケモノ。
生きている体、死体。
世話してやりたい、世話されたい欲望。

外へ、コヨーテのいる場所へ行きたい、連れていって欲しい。
けれどそこへは自分で行くしかありません。
まとわりついてくる病と夫を置いて。
もはやわたしはこんなにも過剰で、身動きがとれない。

死体はもう自分の足で立つことが出来ない。
だからどうにか、死体になる前に、ガキアミを引いてゆきます。
けれどガキアミは元気になって、どこへ行くだろう。
(それはわたしの元へ帰らないかもしれない)
それに友人はもう死体になってしまったし。

ただ誰がいても、誰もいなくても、
わたしはずっと血を流し立ち続けていて、
立ち眩みを思い出そうとしている。

2009年6月5日金曜日

写真:どっちの手に入ってるか


写真:正解は・・・


写真:ここにいました


写真:夫とわたし


写真:出張から帰るなりエロ本かい


写真:妻に関する不幸自慢


写真:お母さんが眠り、お父さんがオナニーしてる間に、娘は読書感想文を読みます


写真:モチ子に電話


写真:アーロンとわたし


写真:英会話教室


写真:散歩


写真:散歩2


写真:テルテ、オグリからラヴレターをもらう


写真:ミノの国の女郎屋、ヨロズヤチョーベイという男


写真:この重いものパス


写真:チョーベイ様、お願いです


写真:カノコのことはどうでもいいんだ


写真:ねぇ禁煙してなかったっけ?


写真:俺わかったんだけど、禁煙て死ぬことなんだよ


写真:ねぇ聞いてる?


写真:いなくなるのはいやなの。どんなかたちでもいいから生きてさえいればいいのよ。よいよいだって、生きていさえすればいいのよ。というよりむしろ、よれよれになって生きていてもらいたいの。老醜をさらして。


写真:あなたは自分の死後の死体のあり方について、どういうものが好ましいと思いますか


写真:わたしは死骸になりたい、死骸をあとに残したい




写真:友人の死、夫はスペイン語を翻訳する


写真:野次馬たち




写真:見るな、そんな風に思うおまえなんかこのからだを見るな




写真:共有しえない


写真:東京への道行き


写真:わたしはだんなでした


写真:お母さん、頭が痛い


写真:わたしたちは持てないでしょうか、間違いを、そのまま全部


写真:またやって来てアーロン、待ってるから


写真:逆立ち




写真:わたしの話は終わりです




2009年5月20日水曜日

サロメ

「サロメ」を読んで、取り返しのつかなさについて考えました。
取り返しのつかないことというのは大抵、
その人にとってのみ、
取り返しのつかないことであると思います。
周りの人からしたら、
いくらでも替えのきくことに見えるんじゃないかと思います。

サロメはヨカナーンが思い通りにならなかったので
彼を殺してしまい、
私なんかは
やー何も殺さなくても!
と思うわけですが、

だって殺しちまったらそれこそ取り返しがつかないよ、
そうしなければ他にいくらでもいい男と出会えたろうに!
と思うわけですが、

サロメにとっては
出会う→好きになる→手に入らない→殺す
が一つ一つバラバラの工程ではなく一体化していたんだろうな、と。
だから、殺す手前で踏みとどまるなんて選択肢はなく、
ひたすら「あぁなんで出会っちゃったのだ!」
というところを苦しむんだろうな、と思いました。

そういう本人にもどうしようもないこと
(というか周りにとっては他にいくらでもやりようがあるように見えるので、
 本人だけがどうしようもないと思っていること。
 しかし本人がどうしようもないと思っている以上、
 実際どうにもなりえないんであろうこと)
って思い込みなんじゃないのと思うのですが、
そこまで強く人に思い込ませてしまう理由、状況に
興味があります。

そして願わくば私もそれが欲しい。

自分にとって取り返しのつかないこととは何だろうか
と考えると、
裏切られることだと思います。
大抵のことはまぁ許せる、
もしくは許そうと努力できると思うのですが、
裏切られたと感じたら、
きっと私は許そうとする努力を一切やめて、
関心を断とうとするんじゃないかと思います。

でもそうして、
「許せない」がだんだん「どうでもいい」に変わっていくのです。
取り返しのつかないことだったはずが、
何かもうどうでもよくなっていきます。

私は全てがどうでもよくなることがとても恐ろしいです。
どうすれば関心を持ち続けられるのか、
どうすれば変わり得る希望を持ち続けられるのか、
ということを考えています。

2009年5月3日日曜日

MSA2009総括シンポジウム

先日の「家族アート」、実はMSA2009というフェスティバルの参加作品だったのですが、
(え、祭的空気とか皆無だったよね!という声多数で、
 どうもアナウンス不足だったようですが)
その総括シンポジウムがもうすぐあります。

参加団体9つの代表者がパネリストになって、
「あなたんとこの作品はあーだったねこーだったね」と
ディスカッションする会です。

私ども実は、本番までの半年弱、
月に1〜3回くらいずつ集まって
「私はなぜ舞台作品をつくるのか」を話し合っていました。

「それってやる意味ありますの?」とか、
「雰囲気で喋ってないですか?」とか、
みんな歯に衣着せぬ物言い過ぎて、うー正直しんどい…というときもありましたが、
後から振り返ってみると有意義な時間だったなぁと思います。

その一応の締めくくりの、総括シンポジウムです。

�作品をつくるに当たっての主義(思想?理想?)があって、
�実際につくる場面での手段の選択があって、
�表象として作品が出てくるわけですが、
�と��は多かれ少なかれ隔たっていて、
その隔たりについて突っ込み合う会になるのだろうという気がします。

普通、話されるのは�の良し悪しだけだと思いますが、
�と��の隔たりについて意見をもらい、
そこに自覚的になることは、
作り手にとって非常に具体的で建設的な作業である気がします。

正直に真剣に話します。
よろしければ、ご来場ください。


MSA2009総括シンポジウム

【日時】
5月11日(月)19:30〜

【場所】
神楽坂die pratzeにて

【入場料】
MSA2009のチケットの半券があれば入場無料。
なければ500円。

2009年4月24日金曜日

終演しました


おかげ様で、「家族アート」無事終演いたしました!
ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。

最終日は満員になってしまい、
ご予約を受け付けられない状態になってしまいました。
気にかけてくださっていたのに
ご覧いただけなかった皆様には、
大変申し訳なく、そして残念に思っております。
細々とゆっくりペースですが
続けていきたいと思っておりますので、
どうか今後ともよろしくお願いいたします。


公演が終わって今私の中にあるのは、
今回の感謝と反省と、今後のことです。

私、よく「お前は感謝が足りないよ」と父に言われて、
自分でも実際その通りだと思うのですが、
今回は本当にありがとうと思う場面がたくさんたくさんありました。
そして同時に、ふざけるなコノヤロウと思う場面もありました。
人に期待すること、それに応えてもらえる嬉しさと応えてもらえない悔しさを、
以前よりも分かりました。

(一年前の私は、そもそも期待することから恐れていたように思います)

言葉が届かないときは空しく、届いているだろうに受け容れられないときは歯ぎしりする悔しさでした。

けれど悔やむべきは、そういう闘いに踏み込むまでの私の遅さです。
でもそれを、今回私は多少なりとも学ぶことが出来ました。
次は絶対にもっといける、と思います。
そこはまだ、当然いかなければならないところで、
きっとまだどん詰まりでもなんでもないのです。


鳥公園の今後のこと。

・短い(20~30分くらいの)作品、一人か二人芝居を作りたい。
私はどうも詰め込み過ぎるので、一本の芯にまとめるということの練習として。

・ワークショップをします。
 特に公演に向けてのオーディションとかではなくて、稽古の稽古?として。

・やりたい題材(戯曲でも詩でも絵でも)を持っていって、気になっている演出家に演出してもらう。
 私は俳優をやります。

・今年は修士論文があるので、研究したものも上演の形にしたい。
 しかしこれは大掛かりな公演になりそうなので、ちょっと時間がかかりそうに思います。

・テクニカルのことを勉強したい。
 今回私は正直なところ、 照明についても音響についても
 自分がどういうものを求めているのかさっぱりわからなかったのです。
 本当に無力でした。
 もっとイメージを持ちたい。

・具体的なモノに対する感覚を養いたい。
 小道具か衣装をやらしてもらえる場を探そうと思っています。

何かやっぱり、やんねーと分かんねーな
(というか、ぐだぐだ考える前にやってみたら分かることが多いな)と思ったので、
「本番」がなくても、作ることをもっと継続的にやっていこうと思います。
 
写真は、神楽坂die pratzeの近くの廃棄された紙(?)のブロック。
これを舞台美術に使えたら面白そうだと思う。

2009年4月18日土曜日

ポストパフォーマンストーク

「家族アート」は家族の話ですが、
その中でも私は母と娘に興味があるので、
今回は母娘トークをすることにしました。

4月21日(火) 西尾佳織・西尾母
   22日(水) 大倉マヤ・大倉ママ

による対談を、各回終演後に実施いたします。

マヤさんのお母様は人前でお話しされることにわりと慣れていらっしゃるそうですが、
うちの母はまったくの素人です。
しゃべることに関して素人なだけではなくて、見ることもどちらかというと苦手なようです。
一緒に映画を見たりすると8割方睡魔に負けて、
途中で目覚めて私にあらすじを聞いてくるので非常にむかつきます。
私が役者として参加している公演も、毎回見に来てくれるのですが、
毎回あんまり分かっていなくて、私を落胆させます。
(かくいう私も、映画や演劇でものすごくよく寝ますが)

そんな母にもよく分かる作品を作ろう、というのは
今回の指針のひとつでした、実は。

母は正直な人なので、分からなかったら分からないと言うだろうなぁと思います。
もしくは分かったフリをしようとしても、ばれると思います。

正直こわいですが、もちろん、そこはまぁ腹をくくってもいます。

2009年4月15日水曜日

地味な作業

昨日はじめて、今更ながら、
演出業と役者業を分離できた気がします。
意識的に分けないと絶対おざなりになって、
演出も役者も両方ともダメになります。なっていました。

感性とかと全然別の部分で、
物理的に時間を割いて考えて、
地道な作業をしないといけない部分があると思います。
(「感性と別」と書いたけれど本当は別じゃなくて、
 感性なんてそういうものすごく具体的な作業における取捨選択の中でしか
 現れてこないんだろうと思います)

稽古はもちろん重要だけど、
稽古に臨むための各人の準備が実はとても大切で、
それをどうやって役者さんに持ってもらうか、
と考えたらまず自分が必死で臨むしかないなと思いました。
当たり前なところに戻ってきます。

残り時間少ないですが、
「何となく」になってしまっている部分をとにかく一つずつ具体的にしていくしかないです。

2009年4月14日火曜日

どこから出てるんですか


バイト先で、
ほとんどの人が帰った後に残っていた少しの人に
おそるおそるチラシを渡してみた。

皆さんの主な興味の矛先は
「どこから出てるんですか?」でした。

血液が、どこから出ているのか、と。

あとは、「こんなに出ませんよね」とか。

今までに渡したのは女の人が多かったからでしょうか、
こういう反応は初めてで、ドギマギしました。
(今日もらってくれた人はみんな男性)


私自身は不順になったことも、
「やばい、来ない…」という恐怖を味わったこともなく、

かと言って
「恥じるようなものでは全くないんだから、
 むしろ女性は誇らしく思うべきなんだから、
 もっと表立って話されるべきよ!」
というような熱もなく、

「まぁ出るもんは出ますわな」くらいの無味乾燥な感覚だったので、
そんなに話題にされたり注目されたりすると
多少恥ずかしいような気になりました。

でも、わざわざ絵に描くってことはきっと、
やっぱり気にしているんでしょうね。生理。

2009年4月12日日曜日

われに返る

今日は稽古後、演助の北川くんと話した。
他者ってありがてぇ!!と思った。

最近作品の内容について話す人といえばほぼ役者さん二人だけで
(舞台美術さん始めスタッフさんとの話は、もう少し大枠だ)、
役者さんは演出家の意図を酌もうとしてくれるし、
私に沿うというんじゃなくても
毎日会って話して一緒にものを食べていると
だんだんに共同体みたいになってくる部分もあって、
私と役者さん二人は「三人の他者」じゃなくて
「三人とも我」に近づいていた気がする。

それは必要なことでもあると思うけれど、不全だ。
せっかくの集団創作なのに。

北川くんと話して、我に返る感じがあった。

時間がないよー!!と焦って、
必要に迫られているような感覚から形にしようとしていた部分に対して、
ん、そもそも何がしたかったんだっけ。
と一歩立ち止まって考え直せるような。

我に返るには、まず一旦自分から距離をとらないといかんのだなと思った。
本当に感謝感謝です。

明日は音響・照明・美術のスタッフさんが勢ぞろいで来てくださる。
複数の人々の関わり合うところが演劇の面白いところだと思うので、
とても楽しみです。

2009年4月9日木曜日

フレッシュネス

若いときしか持てない感覚というのはきっと沢山あって、
でもその中に良いものも悪いものもあると思うのですが、
どうも若さというのは過大評価されがちな気がします。

稽古場で、恋愛のはじめ頃の新鮮さについて話していて、
最初はほっぺにチュウで三日くらいもったのが、
どんどん刺激の強いことにも慣れていくという話で、
マヤさんはそれを「どんどん貪欲になっていく」と言い、
しかし私は、欲はむしろどんどん薄れていくように思いました。

だけど、どんどん何にもなくなっていくなんて考えると悲しくなるので、
初めにあったものがなくなっても、
代わりに何か他のものが満ちていくのだと思いたいです。

何とかして新鮮さを保ち続けようという方策は
限界がある気がして、
新鮮さが失われた先にはめちゃめちゃ素晴らしいものが…!
とまでは言えないにしても、
新鮮さだけが素晴らしいわけじゃないさ
と言いたいです。

2009年3月30日月曜日

初通し

とりあえず今の段階でどうなってるのか通してみよう、
ということで昨日は初通しでした。

思っていたより長かった。45分弱。

完全に何となくですが、
70分の作品にしようと思っていたのです。
でもまだ書いていない部分、
25分に収まる気が全くしません。

稽古は楽しい、楽しく、なってきました。

書いた時点では
自分でも何のこっちゃ分からなかった部分の
意味が分かるようになったり。

それは、何度もやってみる中で
役者さんがしっくりくるところを探し、
これでしっくりくるってことはこういうことなんじゃないか
となったりするのです。

役者さんからの提案で気付かされるときは
とても楽しい。

先に分かっていて
その分かっていることをやろうとするときより
(や、「より」ってこともないかもしれませんが)、
動いてみて意味が後からついてくると
正しい気がするのと、
わくわくもします。

「頑張ってやろうとしてみたけど、
 台本のこの部分、やっぱ無理があると思うよ」
とかいうツッコミも入りだしました。

台本、まだ最後まで出来ていないのですが、
役者さん二人曰く、
「今までの部分全部リセットになっても大丈夫だから
 好きに書きねぇ」
だそうです。

確かに、ここでいきなり台本を取り払って
全く新しい台本を持ってきても
(もしくは台本を完全に排してしまっても?)
大丈夫な気がします。

毎回の稽古は、
「今日はこれが出来るようになった!」というような
具体的なものには感じられないのですが、
何かしらは積み重なっているようです。

2009年3月27日金曜日

メトロメ

昨日からバイト先の塾の春期講習が始まったのですが、
二日目にして声が枯れました。

場末のおかまバーみたいだよ。
おかまみたいだよ。
おかまかな?
おかまだね。


おかまです。


喉の腫れてザラザラした所を
舌で触ることに集中しすぎて、
乗る電車を間違えました。
方向とかじゃなくて路線から間違えていました。
私はJRに乗るべきでした。

さすがにひどいので驚きましたが、
コナクソという気分で
乗り換えに乗り換えて帰りました。メトロ。

2009年3月25日水曜日

出獄したい

間違い。出国です。

変換しようとして出なくて
あ、読み間違ったと気付きます。

自分の言葉が不自由になる所へ行きたいです。
そこで言葉を無理矢理にひねり出し、
でも所詮不自由な言葉なので
ネイティブの人が察してくれる、
そういう快適な状態に閉じこもりたい気分です。

しかし、明日は稽古です。

日本語は自由に扱えるはずなのに
伝えることはやはり困難ですが、
何だって言ってみないと始まらぬ、てんで。

とりあえずどんどん具体にしていこう。

2009年3月19日木曜日

打ち合わせ

舞台美術の大泉さんと打ち合わせをした。

私の話はあっちへ行ったりもっとあっちへ行ったりで、
「あぁ」「ふむー、ん?」と相槌を打ってはくださるものの、
私の伝えたいイメージが大泉さんの中で
あまり像を結んでいない様子が見て取れ、
焦る私、一時間くらい喋っていただろうか、

唐突に何かが来た。

あ、あー…!はいはいはい、あー。

というような感じ。

こちらとしては話す内容を特別変えているつもりはなかったのだけれど、
一度ひとつピッタリくるとそれまでの話も
あーはーそういうあれなのね、となって、

あ、それならさーこんなんどうかしら?
という大泉さんからの提案が

おー!それいいですね!!
というものだったりして、

大泉:お、じゃあこういうのもアリ?

私:いいすね!

大泉:こういうのは?

私:好きです!
  あ、じゃあそれをこうやってこうとか!

大泉:ほうほう。

私:そして更にこうこうこういうのとかどうですかね!!

大泉:や、それはなしでしょう。

私:(ぎゃーー!!!)

みたいな。

まぁ最後のやりとりは嘘ですが。

何かそういう楽しい行き来になったのでした。

一時間話して後の15分。
こういうことをあらゆるスタッフさん、役者さんとやりたい。

あー分かった!となるまでは、
しっくりはまってないけどとりあえず手に持っているような状態があって、
関係ある(のかないのかの)たくさんのことを共有すると
突然回路ができるのだろうか。

私がどういう回路なのかを分かってもらうのではなくて、
今回のメンバーの回路のようなものを作れたらいいと思う。