2009年4月24日金曜日

終演しました


おかげ様で、「家族アート」無事終演いたしました!
ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。

最終日は満員になってしまい、
ご予約を受け付けられない状態になってしまいました。
気にかけてくださっていたのに
ご覧いただけなかった皆様には、
大変申し訳なく、そして残念に思っております。
細々とゆっくりペースですが
続けていきたいと思っておりますので、
どうか今後ともよろしくお願いいたします。


公演が終わって今私の中にあるのは、
今回の感謝と反省と、今後のことです。

私、よく「お前は感謝が足りないよ」と父に言われて、
自分でも実際その通りだと思うのですが、
今回は本当にありがとうと思う場面がたくさんたくさんありました。
そして同時に、ふざけるなコノヤロウと思う場面もありました。
人に期待すること、それに応えてもらえる嬉しさと応えてもらえない悔しさを、
以前よりも分かりました。

(一年前の私は、そもそも期待することから恐れていたように思います)

言葉が届かないときは空しく、届いているだろうに受け容れられないときは歯ぎしりする悔しさでした。

けれど悔やむべきは、そういう闘いに踏み込むまでの私の遅さです。
でもそれを、今回私は多少なりとも学ぶことが出来ました。
次は絶対にもっといける、と思います。
そこはまだ、当然いかなければならないところで、
きっとまだどん詰まりでもなんでもないのです。


鳥公園の今後のこと。

・短い(20~30分くらいの)作品、一人か二人芝居を作りたい。
私はどうも詰め込み過ぎるので、一本の芯にまとめるということの練習として。

・ワークショップをします。
 特に公演に向けてのオーディションとかではなくて、稽古の稽古?として。

・やりたい題材(戯曲でも詩でも絵でも)を持っていって、気になっている演出家に演出してもらう。
 私は俳優をやります。

・今年は修士論文があるので、研究したものも上演の形にしたい。
 しかしこれは大掛かりな公演になりそうなので、ちょっと時間がかかりそうに思います。

・テクニカルのことを勉強したい。
 今回私は正直なところ、 照明についても音響についても
 自分がどういうものを求めているのかさっぱりわからなかったのです。
 本当に無力でした。
 もっとイメージを持ちたい。

・具体的なモノに対する感覚を養いたい。
 小道具か衣装をやらしてもらえる場を探そうと思っています。

何かやっぱり、やんねーと分かんねーな
(というか、ぐだぐだ考える前にやってみたら分かることが多いな)と思ったので、
「本番」がなくても、作ることをもっと継続的にやっていこうと思います。
 
写真は、神楽坂die pratzeの近くの廃棄された紙(?)のブロック。
これを舞台美術に使えたら面白そうだと思う。

2009年4月18日土曜日

ポストパフォーマンストーク

「家族アート」は家族の話ですが、
その中でも私は母と娘に興味があるので、
今回は母娘トークをすることにしました。

4月21日(火) 西尾佳織・西尾母
   22日(水) 大倉マヤ・大倉ママ

による対談を、各回終演後に実施いたします。

マヤさんのお母様は人前でお話しされることにわりと慣れていらっしゃるそうですが、
うちの母はまったくの素人です。
しゃべることに関して素人なだけではなくて、見ることもどちらかというと苦手なようです。
一緒に映画を見たりすると8割方睡魔に負けて、
途中で目覚めて私にあらすじを聞いてくるので非常にむかつきます。
私が役者として参加している公演も、毎回見に来てくれるのですが、
毎回あんまり分かっていなくて、私を落胆させます。
(かくいう私も、映画や演劇でものすごくよく寝ますが)

そんな母にもよく分かる作品を作ろう、というのは
今回の指針のひとつでした、実は。

母は正直な人なので、分からなかったら分からないと言うだろうなぁと思います。
もしくは分かったフリをしようとしても、ばれると思います。

正直こわいですが、もちろん、そこはまぁ腹をくくってもいます。

2009年4月15日水曜日

地味な作業

昨日はじめて、今更ながら、
演出業と役者業を分離できた気がします。
意識的に分けないと絶対おざなりになって、
演出も役者も両方ともダメになります。なっていました。

感性とかと全然別の部分で、
物理的に時間を割いて考えて、
地道な作業をしないといけない部分があると思います。
(「感性と別」と書いたけれど本当は別じゃなくて、
 感性なんてそういうものすごく具体的な作業における取捨選択の中でしか
 現れてこないんだろうと思います)

稽古はもちろん重要だけど、
稽古に臨むための各人の準備が実はとても大切で、
それをどうやって役者さんに持ってもらうか、
と考えたらまず自分が必死で臨むしかないなと思いました。
当たり前なところに戻ってきます。

残り時間少ないですが、
「何となく」になってしまっている部分をとにかく一つずつ具体的にしていくしかないです。

2009年4月14日火曜日

どこから出てるんですか


バイト先で、
ほとんどの人が帰った後に残っていた少しの人に
おそるおそるチラシを渡してみた。

皆さんの主な興味の矛先は
「どこから出てるんですか?」でした。

血液が、どこから出ているのか、と。

あとは、「こんなに出ませんよね」とか。

今までに渡したのは女の人が多かったからでしょうか、
こういう反応は初めてで、ドギマギしました。
(今日もらってくれた人はみんな男性)


私自身は不順になったことも、
「やばい、来ない…」という恐怖を味わったこともなく、

かと言って
「恥じるようなものでは全くないんだから、
 むしろ女性は誇らしく思うべきなんだから、
 もっと表立って話されるべきよ!」
というような熱もなく、

「まぁ出るもんは出ますわな」くらいの無味乾燥な感覚だったので、
そんなに話題にされたり注目されたりすると
多少恥ずかしいような気になりました。

でも、わざわざ絵に描くってことはきっと、
やっぱり気にしているんでしょうね。生理。

2009年4月12日日曜日

われに返る

今日は稽古後、演助の北川くんと話した。
他者ってありがてぇ!!と思った。

最近作品の内容について話す人といえばほぼ役者さん二人だけで
(舞台美術さん始めスタッフさんとの話は、もう少し大枠だ)、
役者さんは演出家の意図を酌もうとしてくれるし、
私に沿うというんじゃなくても
毎日会って話して一緒にものを食べていると
だんだんに共同体みたいになってくる部分もあって、
私と役者さん二人は「三人の他者」じゃなくて
「三人とも我」に近づいていた気がする。

それは必要なことでもあると思うけれど、不全だ。
せっかくの集団創作なのに。

北川くんと話して、我に返る感じがあった。

時間がないよー!!と焦って、
必要に迫られているような感覚から形にしようとしていた部分に対して、
ん、そもそも何がしたかったんだっけ。
と一歩立ち止まって考え直せるような。

我に返るには、まず一旦自分から距離をとらないといかんのだなと思った。
本当に感謝感謝です。

明日は音響・照明・美術のスタッフさんが勢ぞろいで来てくださる。
複数の人々の関わり合うところが演劇の面白いところだと思うので、
とても楽しみです。

2009年4月9日木曜日

フレッシュネス

若いときしか持てない感覚というのはきっと沢山あって、
でもその中に良いものも悪いものもあると思うのですが、
どうも若さというのは過大評価されがちな気がします。

稽古場で、恋愛のはじめ頃の新鮮さについて話していて、
最初はほっぺにチュウで三日くらいもったのが、
どんどん刺激の強いことにも慣れていくという話で、
マヤさんはそれを「どんどん貪欲になっていく」と言い、
しかし私は、欲はむしろどんどん薄れていくように思いました。

だけど、どんどん何にもなくなっていくなんて考えると悲しくなるので、
初めにあったものがなくなっても、
代わりに何か他のものが満ちていくのだと思いたいです。

何とかして新鮮さを保ち続けようという方策は
限界がある気がして、
新鮮さが失われた先にはめちゃめちゃ素晴らしいものが…!
とまでは言えないにしても、
新鮮さだけが素晴らしいわけじゃないさ
と言いたいです。